多汗症の症状があって手や足に多量の汗をかく人は、さまざまな場面で困難に直面します。
困難に直面したときに、心が動かない人はいません。
多汗症は、どんな心の問題を引き起こすのでしょうか。
自分の体験から振り返ってみたいと思います。
誰にも知られたくない
多汗症の私が、いつも考えていることは、これです。
手汗がひどいことを誰にも知られたくない
40歳を超えた今ではそこまでないですが、子供の頃や思春期には、常に頭にありました。
40代にもなれば、色々な経験をして、良くも悪くも図太くなります。
しかし、心がまだ柔らかい子供にとっては、「何でこんなに汗をかくの?」という、何気ない友達からの疑問でさえ、心に刺さります。悪意を持ってからかわれたりしたら、もう最悪です。
友達とのそんなやり取りを経るたびに「周りに知られたら恥ずかしい。気づかれたくない」という気持ちが強くなっていくのです。
手汗を知られないために私が気をつけていたことは、こんな感じです。
- 人と接触しないように距離を取る
- 自分が触った物を、なるべく人に触らせない
- 人に物を渡すときは、ハンカチなどで拭いてからにする
でも、子供の頃にこれらを実践するのは、難しいんですよね。
人と接触しないようにしていても、子供同士は距離が近いですし、遠足やダンスなどで手を繋がないといけない場面もあります。
また、体育の鉄棒などでは、自分の次に鉄棒を使う人が、濡れた鉄棒を触ることになります。
ソフトボールで共用のグローブを使うときは、グローブの中をハンカチで拭くわけにもかないので、本当に困りました。
新しいことに挑戦できない
「手の汗に気づかれないようにする」というのが行動の基準になるので、色々な制約が発生します。
たとえば、スポーツをする時、汗に気付かれる可能性があるのかが、とても気になります。
テニスをする場合はラケットが1人1本あるのかが気になりますし、バスケットをする場合はボールをパスした後に、ボールが濡れていることに気付かれるのではないか、と考えてしまいます。
また、精神面だけではなく、物理的な制約もあります。
クライミングに挑戦しようとしても、あのカラフルなコブを握ったら手汗で滑ってしまいます。
何かを始める時、「汗は影響しないかな?」という考えや、物理的な制約がつきまとうので、なかなか新しいことに挑戦できないのです。
集中できない
鉄棒の練習をするとき、私の頭にあるのは「どうしたら、次の人に鉄棒が濡れていることを気づかれないか」でした。
「体操服で拭こうかな、鉄棒の端の方を握ればいいかな」と考えていて、鉄棒をしっかり握って練習するどころではありません。
また、勉強していても、ノートが濡れることが気になって、なかなか集中できませんでした。
多汗症じゃなかったら…
人の目に触れやすい手の汗について書いてきましたが、足の汗や脇の汗も、日常生活に困難を引き起こします。
子供時代や学生時代に、汗のことが気になって、友達との接触を避けたり、引っ込み思案になったり、新しいことに前向きに挑戦できないことも、無理からぬことなのです。
「手の汗や足の汗のことを気にせず、何も考えずに新しいことに挑戦してみたい。
手の汗がなかったら、もっと色々なことができたんじゃないか。」
そんな風にも考えます。ない物ねだりですね。
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